自分の考えるXジェンダーの話
ニュースサイトやまとめブログなどで偶然取り上げられているのを見て、これを書かずにはおれない!という感じで、今書き出しました。
前の女攻めについて思うことを書いた記事でも、ちらと触れたことがある話題ですね。
個人のブログであるにせよ、一応人に読んでもらうための文章を書いているのだからもっと構成や文体を考えるべきでしょうが書きたい気持ちが霧散する前に書いておこうと思います。相変わらず文章が支離滅裂でごめんね。もしこの記事を読んでくれる人がいたら、先に謝っておきます。
自分はおそらくXジェンダーに当てはまっていると思われますが、あまりそういう名乗りをしたくないという思いがあります。なぜなら、わかりやすく他者に伝えるためには最適な言葉である一方、過剰なラベリングにも思えるから。
自分は自身のことをセクシャルマイノリティとは思っていなくて、むしろ周囲がおかしいのでは……と、正直なところ時折感じている。
ここから先、完全に素人の見解と持論が続きます。
ここからはデカルトの心身二元論と常識という思い込み、もしくは固定観念についての話を。
まず、生まれた肉体の性別が女である、男である、もしくは無性である、中性であるっていうのは現実に見たままだからそこはわかりますし、その事実があるということは自分でも受け入れている。
(そもそも母親の胎内にいるある時点では、まだどちらにもなれる状態で分化しておらず、染色体によって性別が決定されるように、男女の間にそんなに違いがあるか?っていう思いが昔からある)
しかしだからといって、精神(心・頭の中身)まで性別が固定されているとは、自分にはどうしても思えないんです。
いやでも違いは確かに存在するというのもわかります。でもそれは大抵の場合、常識という思い込みや固定観念だったりするんですね。
科学という尺度は人類の英知とも言えますが、それが万物万象を表せるわけではないしまだ分かってないことの方が圧倒的に多いと思うんです。でもいちいち疑っていたら生活が成り立たないので、ある程度のポイントでまあこれはこういうことだろうと設置されているのが常識だと感じています。だから常識は揺らぐものだと思うんですよ。
ジェンダー的話に戻りますが、小学校に上がる準備でランドセルを買いに行った時に幼い頃から青や黒が好きだった自分はランドセルもその色にしたかった。しかし女子は赤と決まっていて仕方なく赤を買いました。
今では男子であろうと女子であろうと多くの色やデザインからランドセルを選ぶことができるでしょう。――”選ぶことができる”というのはとても重要で良いことだと思っています。――とにかくこの違いが、常識の揺らぎだと思うんです。
同じく小学校にまつわる記憶ですが、画用紙が配られた時に「男の子は青を、女の子はピンクを取ってくださいね」と言われたことがあります。ここでも青が好きなのに何で選べないのだろうと感じました。結局”常識”とかいうやつはこういうところから始まっていくんですよね。完全なる推測ですが、今ではあまりそういうことは言われないのではないでしょうか。
もちろんむやみな言葉狩りにには賛成できません。言葉には意図がありますから。
しかし直されるべき所は時の流れによって直されるべきだと思うのです。
結局のところ分かっていることなんて少ないのです。
(話がずれますが、生物学者でもないのに生物学的に同性愛はおかしいという人がいますがあなたに何が分かるのでしょう。私に何が分かるのでしょう。という気持ちになります。)
人間はそこに存在するように存在しているだけなので、そういったことで誰かが誰かを断罪する権利はないというふうにも感じます。
最も言いたかったのは、心身二元論とジェンダー(社会的性差)のことで、心にまで性別が本当に存在するのか、するとしたらそれは本当は思い込みなんじゃないのか?ということ。だから常識は疑うべきだというのが主張したい持論です。疑いまくりでもやっていけないのは事実だからある程度の客観的な見方を持ちつつ、常識には揺らぎがあることを知っておくべきだと。
そしてこういう考えを持っていることから、男と女に二分される状況に違和感があります(巷でよくある女性脳・男性脳の話や女はどうだ、男はこうだという話のような状況のことです)。
そして自分の場合ですが、FTMの方のお話でしばしば見かける状況、自分は男だと思っていたみたいな時期は自分にはありませんでした。一応女に生まれたことは知っていたので。ただ俺とか僕とか言いたかったし、ランドセルは好きな黒や青を選びたかったし、画用紙は青色が良かっただけなのです。そしてそこに肉体としての性別が関係あるとは思えない……。
素人が、順序立てて語るには少々難しい話題でしたかね。
そしてやっぱり序盤に書いたように支離滅裂な文章になってしまいました。しかしここで(推敲するため……)と公開しないでおくと、一生しないままになりそうなのでやはり思い切って公開ボタンを押すのです。
大事なことを書き忘れてました。(読む人がいるかそもそもわからないがいるとして)この記事の文章によってもし傷つくような方がいるとしたらごめんなさい。誰かを傷つける意図で書いたものではないので、そういう事があれば自分の文章の至らなさに責任があります。しかし結局再三書くようにただの一般人の解釈に過ぎないので、その場合はご容赦ください、そして見なかったことに流していただければこれ幸い。
もし読んでくれた人が存在したらありがとう。
この記事は、とりあえずここで終わります。